こちらの記事では、江戸時代の日本人がいかに商売上手であったのかを紹介していきます。

「日本人はビジネスがヘタだ!」
「日本人は投資が苦手!」

あなたは、こんな風に、日本人は商売がヘタな国民だと思いこんでいませんか?

たしかに、いまの日本では起業する人は少ないですし、また、投資をしている人もあまり多くいません。

日本には「自分一人だけでお金もうけするくらいなら、まわりの人たちとの人間関係を優先する」という、和を重んじる性格の人が多いからかも知れませんね。

では日本人とは、むかしからあまり商売をしない人たちだったのでしょうか?

いいえ、そうではありません。

じつは、かつての日本人たちは、とても商売に情熱を持った国民だったのです。

今回は、日本人がいかに商売上手だったのかを知っていただくために、江戸時代の米相場の歴史を中心に、当時の商売人たちについて紹介していきます。

江戸時代には、当時の世界のどこにもない画期的なしくみをつくりだし、上手にお金もうけしていた人たちがいました。

彼らの商売への情熱を知って、あなたもビジネスに挑戦する勇気をもらってください!

INDEX
  1. 世界初の先物取引市場は大阪の米市場だった!
  2. 値動きを記録するローソク足チャートは日本人が発明した!
  3. わずか8時間!大阪から江戸まで米の価格を旗振り通信で伝えていた
  4. 米の価格をめぐる幕府と商人の工夫合戦
  5. まとめ

世界初の先物取引市場は大阪の米市場だった!

米取引が活発におこなわれた江戸時代の街

江戸時代は日本史上でも、とくに商人の影響力が強かった時代といってもおかしくはありませんでした。

では江戸時代の日本人は、どのような商売をして上手にお金もうけをしていたのでしょうか?

ここでは、江戸時代の日本人が、当時の世界にはない画期的な手段をつかって米の取引をしていた歴史を紹介していきます。

現在の世界には「先物取引」という商品の買いかた・売りかたがあります。

先物取引は「ある商品を、決められた日に、取引をしたときに決めた価格で売買する」というものです。

たとえば、米を2週間後に1,000円で買う約束をします。

しかし、その年にとれた米が豊作ならば300円になるかもしれないし、不作ならば1,500円になるかも知れません。

そこで、2週間後の相場が1,000円を超えそうと予想している買い手と、2週間後に1,000円未満になるリスクを抱えたくない売り手のあいだで、はじめから1,000円という価格を決めて取引をすれば、お互いに損が出ません。

先物取引ならば、売る人も買う人もはじめから値段がわかっているので、損が出ない計算で商品を売り買いできるのです。

現在は世界各国でおこなわれている先物取引を、世界で最初にはじめたのは、江戸時代の大阪にあった堂島の米市場でした。

当時、日本全国で流通していた米の4割が売買されていた大阪の市場では、毎回本物の米を売り買いするのは大変なことでした。

そこで、堂島の米市場では、本物の米と交換できる「米切手」という紙の券が使われはじめました

この米切手は、全国各地の大名が発行しており、見せれば1枚で1.5トンの米と交換できした。

江戸時代の日本では、米は税として納められ、給料として支払われるほどに価値が高いものだったため、交換券としての米切手も、大切にあつかわれるようになります。

次第に米市場では、米そのものではなく”米切手の先物取引”がおこなわれるまでになったほどでした。

ここまで、世界初の先物取引は江戸時代の大阪で誕生したことを紹介しました。

先物取引は、現代世界の商品の売り買いで、損をしないために必要なしくみです。

世界初の先物取引市場を運営していた江戸時代の日本では、やがて米の売り買いで、よりお金もうけするための工夫が考えられるようになります。

それが「酒田五法」と呼ばれる米の価格を記録する方法でした。

酒田五法とはいったいどのようなものだったのか、次から紹介していきますね。

値動きを記録するローソク足チャートは日本人が発明した!

酒田五法(ローソク足チャート)

大阪の米市場では、米の売り買いで、より利益を出すために「いつの時点で米の値段が上がるのか・下がるのか?」を分析する技術が考え出されました。

当時、生み出された米の値動きを予測する方法が「その日の商品の価格変動幅をローソク状に記録する」というものでした。

その方法が、いったいどのようなものなのか理解していただくために、以下の画像を用意したのでご覧ください。

ローソク足チャート

あなたは、このチャートをどこかで見たことがありませんか?

画像は「ローソク足チャート」と呼ばれる、市場で売り買いされる商品の値動きを時間順に並べたものです。

ローソク足チャートは、現代では、株など投資対象の価格が上がるのか・下がるのかを予測するため、世界中の投資や商品取引の現場で使われています。

このローソク足チャートは、じつは江戸時代の日本人が生み出したものだったのです。

江戸時代の米商人の本間宗久が生み出した、「酒田五法」という値動きの分析方法が、世界で最初に使われたローソク足チャートでした。

宗久は相場を20年研究して酒田五法を編み出し、4年間の投資で自分の資産を20倍にまで増やすほどに成功しました。

ここまで、商品価格の値動きを記録するローソク足チャートは、日本人が発明したものだったことを紹介しました。

次からは、大阪の米価格を全国へすばやく伝えた、当時の日本人が考えた工夫のすごさを紹介していきますね。

わずか8時間!大阪から江戸まで米の価格を旗振り通信で伝えていた

旗振り通信員がつかった物見櫓

政治の中心地江戸でも、大阪堂島で記録された価格をもとに米の売り買いをしていました。

大阪から全国へ米の価格を伝達する手段には、はじめは、人力で道を走って情報を届ける米飛脚という原始的な方法が採用されていました。

脚だけで、大阪~江戸(現在の東京)までの600kmを70時間で移動したことは、とても驚くべきことです。

しかし、米の価格をより高速で知りたい江戸時代の米商人たちは、さらなる工夫をします。

それは「旗振り通信」という方法でした。

この旗振り通信は、見通しのいい櫓(やぐら)や高い山の峠に設置した旗振り場から、望遠鏡を持っている遠くの通信員へ向けて、旗を振って価格を伝えるというものです。

通信員は、旗を振る位置・回数・順序によって正確な価格を伝えます。

そして、14~22kmの距離で設置された旗振り場まで旗を振って、その日の米の価格を知らせて…を繰り返し、江戸まで正確な情報を届けていました。

旗振り通信の情報伝達スピードはとても速く、大阪から江戸までわずか8時間で情報を伝えていたのです。

江戸に向けて以外では、大阪から和歌山までは3分、京都までは4分、広島までは27分で通信できたといわれています。

電話もメールも郵便局もない江戸時代に、この伝達スピードは驚異的なものでした。

とても便利なしくみだった旗振り通信ですが、幕府に料金を支払って飛脚を営んでいた人たちから苦情を受けてしまいます

営業料を支払わせて飛脚の許可をしていた幕府も、苦情を無視できず、米商人たちの旗振り通信を禁止しました。

しかし、飛脚よりも速いスピードで米価格を知りたい商人たちは、何もせずにはいられませんでした。

米商人たちは幕府の規制をすり抜けて、速く米の価格を伝達するあたらしい方法を考え出します。

次から、幕府の規制をすり抜けるために振りしぼった米商人たちの知恵を紹介していきますね。

米の価格をめぐる幕府と商人の工夫合戦

米価をつたえるために伝書鳩が使われた時代があった

大阪の取引所の米価格を数時間で全国に伝えていた旗振り通信は、営業料を払って仕事していた飛脚業者からの苦情を無視できなかった幕府により禁止されてしまいました。

しかし、より利益を出したい商人たちは、だまって幕府に従うつもりはありませんでした。

旗振り通信を禁止された商人たちは、米価格の情報を伝えるために伝書鳩(でんしょばと)を使いはじめたのです。

伝書鳩とは、書類の入った筒を鳩(はと)の足に結んで飛ばすものでした。

鳩は、100km以上はなれた場所から数時間で巣に帰れるスピードの持ち主だったため、米価格を伝えるために頼りにされたのです。

商人たちは、幕府に気付かれないために、ときには大寺院の屋根裏に鳩小屋をつくるなどの工夫をして、米価格の書かれた紙を伝書鳩に運ばせていました。

しかし、伝書鳩で米価格を伝えていることに気づいた幕府は、また対策をします。

幕府はハヤブサを放って、商人たちの伝書鳩をつかまえはじめたのでした。

それでも米商人たちはあきらめずに、伝書鳩を訓練してハヤブサから逃げられるようにしました

このように、江戸時代では米価格の伝えかたをめぐって幕府と商人たちが、お互いに工夫をし合っていたのです。

世界でもっとも先進的な先物取引がおこなわれていた江戸時代の日本では、他の国には見られないユニークな逸話が残されていたのでした。

まとめ

ここまで、江戸時代の日本で誕生した世界初の先物取引市場について紹介していきました。

現在のイメージとはちがい、かつての日本人は、お金儲けに熱心な人々だったのです。

日本人は、決してお金のことが苦手ではありません。

あなたもお金もうけに興味があるなら、昔の日本人がどのように工夫して商売していたのかを学んでみるのもいいでしょう。