HSBCという金融機関をご存知でしょうか。
イギリスが本社でありながら本店は香港にあり、香港の通貨である『香港ドル』を発行する銀行のひとつです。また世界50カ国以上に支店を展開する巨大企業でもあります。
そんな世界企業であるHSBCに、戦争銀行といわれる暗い歴史がある事をご存知でしょうか。
本記事では、HSBCの歴史を追いながら、戦争との関わりを紹介していきます。
歴史を追うことで、より深くかんたんにHSBC銀行がなぜ戦争銀行と言われるのかを知ることが出来ます。
HSBCの歴史はアヘン戦争にさかのぼる
イギリスがHSBCを設立した背景にはアヘン戦争があります。おさらいをしましょう。
アヘン戦争の前段階:産業革命
18世紀の中頃、イギリスでは産業革命が起きました。
手工業から機械工業へ変わり大量生産が可能となったため、イギリスは多くの製品原料を必要としました。
製品原料を生産するために、インドは『原料を生産するだけの植民地』と化します。それどころか、イギリスから大量の工業製織物が流れ込んだことでインドの伝統的な綿織物は壊滅し、インドは深刻な貧困国となります。
また、イギリスは中国から茶、絹、陶磁器を輸入していました。特に当時のイギリスではお茶を飲む習慣が広がり、輸入量が急増します。
このときイギリスは綿織物が主要な輸出品でしたが、中国では売れずに貿易赤字が続きます。
貿易赤字になるということは、当時の決済通貨である『銀』がイギリスから中国へ大量に支払われます。イギリスとしては困った状況です。
アヘン戦争の前段階:三角貿易
そこでイギリスが行ったのが三角貿易です。
- イギリスがインドへ綿織物を輸出
- インドが中国(清)へアヘンを密輸出
- 中国(清)がイギリスへ茶を輸出
19世紀には中国(清)へ大量のアヘン(麻薬)が渡り、思惑どおりイギリスはインドを通じて、多額の銀を得ることができました。これを良く思わなかった中国(清)とイギリスとの間で、ついにアヘン戦争が勃発します。
HSBCの設立目的
HSBCは、1840年アヘン戦争の勃発後となる、1865年に設立されました。
HSBC設立の目的は、公式サイトには『地方金融機関に対する大きな需要があること』としか書いていません(https://www.about.hsbc.co.jp/ja-jp/our-company/company-history)。
しかし本当の目的は『アヘン貿易などで得た資金を、イギリス本土に送金するため』設置された銀行という見方があります。
HSBCと戦争の歴史的関わり
HSBC(香港上海銀行)はその名の通り、アヘン戦争後、香港・上海を中心に営業拠点を増やしました。
その中で、戦争とも関わってくる部分もあります。
日露戦争での暗躍
日露戦争の際、どの国が見ても日本が負けると読んでいた時代に、5度にわたる借款募集をかけたのは香港上海銀行です。
日英同盟が結ばれ日本とイギリスの関係が良好だったとはいえ、地方銀行が出来るレベルを超えています。
日本は軍事的優勢の保ったまま、アメリカの仲介によりポーツマス条約を結びます。ロシアが清国から受領していた大連と旅順の租借権を移譲されました。
第一次世界大戦での資金吸い上げと投資
1922~24年に香港上海銀行はインド、上海、日本から資金を吸い上げて集中的にロンドンへ送りました。
当時は関東大震災で日本が債務国となり、アメリカは投資熱が高まっていた時代です。※債務国とは他国からお金を受け取るより、支払う方が多い状態のこと
一方で主要店舗のほとんどが、アメリカの株価が上がる事を見越して、ロンドン送金の2倍も証券(株券)を購入していました。
第二次世界大戦では太平洋戦争直前に資金を吸い上げ英国債を購入
1941年に香港上海銀行を通じて上海とシンガポールの資金をロンドンへ送っています。主要店舗は代わりに英国債を購入しています。
同年12月、日本が真珠湾攻撃後、香港を支配下におき、軍票と香港ドルを強制的に交換させ、物資調達をします。ここでも実に見事な資金移動をしていますね。
見事な手腕ではありますが、これは戦争銀行と呼ばれても仕方ないかな、とも思えます。とはいえ「これが英国」ともいえる国際感覚と政治的センスは、われわれ日本人も見習うところも多いでしょうね。
まとめ
HSBCはまさに戦争とともに成長したと言える銀行ですね。時代との関わりをまとめると、以下のとおりです。
- HSBC開設以前にアヘン戦争があり、アジア圏で決済銀行が必要とされていた
- 戦争に関わる場所での立ち回りが上手すぎた
- あまりにビジネスが上手い為に、戦争銀行と呼ばれる噂があったのは確かそうです。
とはいえ、歴史も古く、銀行で世界第7位の総資産を持つHSBCが安心というのも確かですね。