こちらの記事では、金が貴重な資産である理由について解説していきます。
突然ですが、あなたは金と聞けばなにを思い浮かべますか?
「なんとなく高価で貴重なもの…」という印象を持つのではないでしょうか?
オリンピックの優勝者に贈られる金メダルなど、投資に関係のない場面でも、金は価値の高いものとして扱われていますね。
このページへおとずれたあなたは、金がなぜ価値が高いのか、まだ根拠がわからないかも知れません。
そこで、この記事では、
「金の価値はなぜ高いの?根拠はなに?」
このような思いをもっているあなたに向けて、金が高い価値を持つ理由について、歴史を通して根拠を説明していきます。
以下の内容を紹介していきます。
- 金はなぜ重宝されてきたのか?
- 世界の金の歴史
- 日本の金の歴史
- 貴重な金属「金」とお金の歴史
- 歴史をみると金は「国際的な危機のときに買い求められる」と分かる
この記事は10分くらいでカンタンに読めて、金が歴史的に価値が高かった理由について十分に理解できます。
ぜひご一読ください!
歴史を知る前に:金はなぜ重宝されてきたのか?
ここからは、金という物質が、なぜ世界中で重宝されてきたのかを解説していきます。
金の価値が高い理由をまとめると、以下のようになります。
- 数が少ないから
- 利用されるニーズが多いから
- 代わりになる金属がないから
- 劣化しにくいから
- 貨幣や証券とははちがい実物であるから
そもそも金は、地球上にある絶対量が少ない金属です。
現在世界中にある金を一か所にあつめると、わずかに50メートルのプール3.5杯分しかないという、おどろきの少なさなのです。
有史以来、人類が掘ってきた金の総量は、およそ18万トンです。(出典:東京商品取引所「貴金属取引の基礎知識」)
そして、世界の金の埋蔵量が5.3万トンと推定されています。
鉄の原料になる鉄鉱石の総埋蔵量が約1,500億トンと推定されているのに対して、金がいかに希少な金属なのかがわかりますね。(出典:国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構)
また、金の価値が高いほかの理由には、おおくの人がつかうパソコン・スマホの部品、歯科・医療部品の製造につかわれているというものがあります。
金はサビや腐食につよく、何百年・何千年たっても形状がのこるため、宝飾品や製品の重要なパーツとして用いられているのです。
金は投資の世界でも重宝されています。
理由は、世界的な経済不安がおきたとき、実物のない株や国債は信用不安で価格を暴落させる一方で、実物である金は信用不安による価格暴落のリスクをもっていないからです。
カンタンにまとめると、以上が金の価値が高い理由です。
しかし、金が重宝されているワケは、これだけではありません。
金の価値が高い理由は、古い時代から世界中で価値が認められてきたため、ブランド力が積み重なっているからでもあるのです。
金は希少さ、きらびやかさから、古代より王侯貴族の住まいや、宗教的な儀式に用いられてきました。
いにしえの人々を魅了した金は、ときには手に入れた者を歓喜させ、ときには所有権をめぐって血なまぐさい争いをおこさせました。
これから、積み重なってきた金のブランド力の高さを理解していただくために、世界各国の歴史を紹介していきます。
いったい古い時代の世界各国では、金はどのように重宝されてきたのでしょうか?
次から紹介していきますね!
世界の金の歴史
ここからは、世界の金の歴史について紹介していきます。
紹介していく順番は、以下のとおりです。
- 古代エジプトでは金は信仰に関わっていたため高価だった
- 古代~中世の中国は外国に権威をしめすために金印を贈っていた
- 中世ヨーロッパでは金細工職人たちによって銀行がはじめられた
- 中世ヨーロッパ諸国は金を求めて9,000kmはなれた新大陸まで船を出した
- かつて世界では希少な金を人工的に生みだす「錬金術」が研究された
- アメリカやオーストラリアのゴールドラッシュが世界経済を拡大させた
それでは、順番に紹介していきますね。
古代エジプトでは金は信仰に関わっていたため高価だった
ここでは古代エジプトの王朝で、金が貴重な物質としてあつかわれてきた歴史を紹介していきます。
紀元前3100年ころには、古代エジプトの王朝で金をつかった装飾品がつくられていました。
太陽を信仰していた当時のエジプトの人々にとって金は、日の光をしめすものとされ、とても神聖視されていました。
古代エジプトで神聖視された金は、歴代の王(ファラオ)のみが身につけることを許されていた金属でした。
エジプトのファラオが身につけた金で、一番代表的なものは、あの有名なツタンカーメン王の黄金のマスクですね。
墓に眠る王が身につけていたマスクは、現在の価値でおよそ300兆円といわれる、規格外の高価なものです。
このマスクや、王が眠る黄金の棺(ひつぎ)をつくるために、当時の国民が持っていた金は、すべて王家に徴収されていました。
エジプト王家による金の徴収は徹底しており、一般市民は小さなかけらを持つことさえも許されていなかったのです。
現代のように巨大な採掘機械のない古代エジプトでは、ザルで川の砂をすくい上げ、砂金を採るという、原始的な方法で金があつめられていました。
1人があつめられる金は、ごくわずかなのにも関わらず、実際にあつめられた量は莫大なものでした。
国民が苦労してあつめた金が、ファラオの宝飾品として加工されたのです。
たとえば、ツタンカーメン王の棺には110kgの金がつかわれていました。
110kgもする棺の加工に必要な、砂金をあつめる労働者数と時間の長さは計り知れませんね。
エジプト王家にとって、金がいかに重要な存在だったのかがうかがえます。
古代~中世の中国は外国に権威をしめすために金印を贈っていた
古代から中世にかけての中国は、周辺にある国の王家を、自分たちの臣下として認める証として、金でつくられた印章(ハンコのこと)を贈っていました。
金印は、冊封体制という東アジア独自の国際秩序の維持のために必要なものでした。
古代~近世までの歴代の中国王朝が、東アジア諸国の国際秩序を維持するために用いた外交政策のこと
中国に対して使者を送り、貢ぎものを献上した諸外国の王族に称号をあたえて主従関係を結び、その国の統治を認めさせることで、国際間の秩序を維持させた
歴史上、とくに代表的な金印は、漢王朝(前漢:紀元前206年~紀元8年 後漢:25年~220年)の時代につくられたものです。
漢にとって印章は、国を統治する政治体制になくてはならないものでした。
漢の存立をおびやかす中国周辺の異民族に対しても、金印を贈って称号をあたえ、中国皇帝を頂点とした国際秩序の中に組み込むことで、侵略の驚異を防いできました。
希少な金をつかっているという権威性が、諸外国や異民族との国際関係に効力をおよぼしたのです。
漢の金印は、かつて我が国日本にも贈られました。
漢王朝は、当時は倭国(わこく)と呼ばれていた日本の王族に対して金印を贈ることで、国家の統治をみとめさせていました。
中国の歴史書「後漢書東夷伝」には、紀元57年に、ときの漢王朝皇帝である光武帝が、日本列島(倭)の中にある奴国(なこく)に対して、印章を贈ったと書かれています。
実際に1784年には、大陸との玄関口にあった福岡県の志賀島から「漢委奴國王」と刻まれた金印が発掘されています。
金印の存在は、金が現代でも古代でも、国家の権威をしめすほどに価値が高い物質なのだということを教えてくれています。
中世ヨーロッパでは金細工職人たちによって銀行がはじめられた
中世のヨーロッパでは、金でできた数多くの美しい装飾品がつくられました。
この金の装飾品は、すべて手作業でつくられています。
金細工職人たちのつくる装飾品の数々は、現代人が見ても息をのむほどに美しいものです。
職人たちに美しい装飾品をつくらせたのは、ヨーロッパの王侯貴族たちでした。
王族や貴族が、自分たちのプライドや威厳をしめすために発注した装飾品は、後世にも名をのこすほどの作品でなければなりません。
ときの権力者たちのために名作をつくる重責を負った職人たちは、自分たちで責任をもって装飾品や金そのものを保管していました。
そして、金を自分たちで保管していた金細工職人たちは、やがて、あるおもしろい現象を引きおこします。
ほかの人たちも、職人たちのもつ頑丈な金庫へ、自分の金を預けるようになったのです。
他人の金を預かるときに、金細工職人たちは、金の「預かり証」を発行して、所有者にわたします。
そして、商人たちは預かり証を渡すときに、預かり料を支払ってもらい、利潤を手に入れました。
さらに職人たちは、預かり料から生まれたお金を、また他人に貸し付けて、利潤を手に入れます。
このしくみは、現代の銀行そのものです。
現代の銀行は、じつはこの時代の金細工職人たちがはじめたのでした。
金という物質は、仕事であつかっているだけで利益を生み出してしまうほどに、貴重なものだったのですね。
中世ヨーロッパ諸国は金をもとめて9,000kmはなれた新大陸まで船を出した
中世のヨーロッパでは、貴重な金を手にいれるために、大西洋をこえた別の大陸まで船を出した人たちがいました。
16世紀のスペインの軍人フランシスコ・ピサロもそのひとりです。
ピサロは大量の金をもとめて1532年に、スペインからおよそ9,000kmもはなれた南アメリカ大陸北部のインカ帝国の侵略を企てます。
インカ帝国からは当時、大量の金が採掘されていました。
また、インカ帝国にはヨーロッパよりも古い時代から金の精製技術があり、人々はおおくの財宝をたくわえていました。
ピサロたちによるインカ帝国侵略の過程は、いまでも物議をかもすほどです。
まずピサロは、インカ帝国を「発見」したあとにスペインへもどり、王室からインカ支配の「権利証」を手に入れます。
権利証を手に入れたピサロは、故郷の荒くれ者120名をあつめて、南アメリカ大陸まで出航しました。
インカに上陸したピサロは、国王アタワルパに友好的なフリをして近づきますが、やがて王に言いがかりをつけました。
言いがかりを口実に、ピサロたちは火縄銃と剣でインカ人を虐殺してしまいます。
ピサロは国王アタワルパを捕らえ、身代金に膨大な金を要求しました。
王の身代金として支払われた金は約3万トンという、非常に膨大なものでした。
しかし、この身代金を支払ってもなお、ピサロはアタワルパ王を開放しませんでした。
最後にはピサロたちは、アタワルパ王を裁判にかけ「スペイン国王への反逆罪」で処刑してしまったのです。
ピサロは、はじめから身代金として、大量の金が支払われることを狙って、この計略を仕組んだのでした。
金という物質は、保有している国を侵略のリスクにさらしてしまうほどの価値があったのです。
かつて世界では希少な金を人工的に生みだす「錬金術」が研究された
かつての世界では、希少な金を人工的に生みだす方法が研究されていました。
人工的に金を生みだそうとする方法は「錬金術(れんきんじゅつ)」と呼ばれています。
錬金術は、主に中国や、イスラム圏、中世ヨーロッパで研究されてきました。
もちろん、錬金術の完成をもとめた人々のなかには、よりゆたかになりたいという欲求をもつ者もいました。
しかし錬金術は、ただ物欲に駆られた人だけにもとめられたワケではありません。
錬金術の研究者のおおくは、金を生みだすことが、自分の知識力の証明になるとかんがえたのです。
理由は劣化しない物質である金が、科学者たちから、この世界でもっとも普遍的な物質だとみなされてきたからです。
たとえばツタンカーメン王のマスクが、何千年たっても腐敗もサビもないことからも、金の普遍性がわかりますね。
ちなみに、あの万有引力の法則を発見したイギリスの科学者ニュートンも、錬金術に傾倒したひとりでした。
金は、権威やゆたかさを表現するだけでなく、完璧さを象徴する物質としても価値の高さをみとめられてきたのです。
アメリカやオーストラリアのゴールドラッシュが世界経済を拡大させた
金をもとめる人間の欲求は、中世をすぎても変わりませんでした。
この200年ほどの世界で、金にまつわる有名なできごとが、アメリカやオーストラリアの「ゴールドラッシュ」です。
ゴールドラッシュとは、あたらしく発見された金鉱山に、一攫千金を追いもとめる採掘者が殺到したことをいいます。
そのもっとも有名なものが、1848年にアメリカ西部のカリフォルニアでおこったものでした。
当時のカリフォルニアでは、巨大な金鉱山が発見された事実がニュースとなり、世界中の人々が現地へ押し寄せてきたのです。
金はこの時代よりもはるか昔から、価値をみとめられてきた物質だったため、人が殺到するのは当たり前のことでしょう。
しかし、世界中の人々が金の採掘をもとめてカリフォルニアに来たのには、べつの理由がありました。
当時の欧米諸国は飢饉が原因で、経済的な恐慌がおきている最中でした。
恐慌により、デフレーションにおちいった欧米では、企業倒産が相次ぎ、物価と資産価値が下落しつづけました。
継続的にモノの値段が下がりつづけ、経済全体が収縮していく現象のこと
モノの値段が下がると給料がさがり、給料が下がることで消費もひかえられるため、さらにモノが売れなくなり価格がさがる、という悪循環がつづく
デフレと略されることも多い
デフレか抜けだすためには、市場に出まわっている貨幣の量を増やさなければなりません。
しかし、当時のしくみは現在とちがい金本位制を導入していたため、銀行に保管されている金の総量とおなじだけの貨幣だけしか流通させられませんでした。
1800年代の世界は、金本位制というシステムによって経済を回していました。
金本位制とは、市場に流通するモノ・サービスの価値を表現するための基準に、金をつかうしくみのことです。
金本位制が導入されている国の紙幣は中央銀行が保有している金と交換できます。
金との交換券としての役割をもたせることで、紙幣の価値を担保していたのです。
金本位制が導入されている国では、中央銀行が保有している金の総額とおなじだけの硬貨・紙幣しか発行できなかったのです。
つまり、デフレから抜けだすためには、国内にある金の量を増やさなければなりません。
カリフォルニアで見つかった金鉱山のニュースは、デフレで失業・低賃金に苦しんでいた欧米各国の国民を熱狂させました。
ゴールドラッシュは、人々が自分で金を保有するためだけでなく、国家全体の経済を好況にするためにおきた現象でもあったのです。
カリフォルニアにつづき、1851年にはオーストラリアでもゴールドラッシュがおきました。
アメリカとオーストラリアで巻きおこったゴールドラッシュは、世界にある金の総量を格段に増加させました。
金の総量がおおきく増えたため、市場に流通する貨幣の総量も増加し、世界経済が拡大したのです。
ここまで、世界の金の歴史を紹介しました。
いままで世界で、いかに金が重宝されてきたのかが、おわかりいただけたと思います。
金は、とうぜん我が国日本でも重要としてあつかわれてきました。
次からは日本で、金はどのようにあつかわれてきたのか、歴史を紹介していきますね!
日本の金の歴史
ここからは、日本では金がどのようにあつかわれてきたのか、歴史を紹介していきます。
日本はかつて、13世紀のイタリア人旅行家マルコポーロによって「黄金の国ジパング」と呼ばれていました。
彼は中国滞在中に、莫大な金を産出し、王の宮殿が黄金でできている東アジアの島国のはなしを聞きます。
その島国こそが日本だったのです。
マルコポーロが聞いた黄金の宮殿とは、平泉(岩手県平泉町)にある中尊寺金色堂なのではないかと推測されています。
中尊寺金色堂は、ときの平泉の権力者である奥州藤原氏によって建立された、内観・外観ともに黄金の貼られた仏堂です。
中世の日本では、金色堂につかわれたように、おおくの金が産出されたのでした。
ちなみに、金色堂につかわれていた金は、現在の岩手県陸前高田市にあった玉山金山から採れたものを使っていました。
玉山金山はのちの仙台藩主伊達家の直轄領になり、採掘される豊富な金は、伊達家とヨーロッパが貿易するための海外使節派遣の費用にもなりました。
中尊寺金色堂のほかにも、日本で金をつかわれた建造物としては、京都の金閣寺が有名ですね。
金閣寺は室町時代に、ときの幕府将軍である足利義満によって建立されました。
金閣寺に金箔がつかわれた理由としては、日本の最高権力者である義満が「みずからの威厳を国内外に示すため」とも「仏教の極楽浄土を表現するため」ともいわれています。
中尊寺金色堂や金閣寺など、全体が金でつつまれた寺院は、かぎりなく高位の権力者でなければ建てられないものです。
金閣寺建立とおなじ室町時代には、金を贅沢につかった屏風(びょうぶ)がつくられるようになります。
金屏風は、ときの幕府や有力大名が諸外国の国王に贈った日本を代表する品として、外交で重要な役割を果たしました。
以上紹介したように、金は世界各国とおなじく、日本でも権威をしめす貴重な物質として認められてきたのです。
日本の金鉱山で、とくに有名なものは、新潟県の佐渡ヶ島にある「佐渡金山」です。
1601年に発見された佐渡金山は、その莫大な埋蔵量から、江戸幕府の直轄領として最盛期には年間400kgを産出するまでになりました。
江戸時代中に佐渡金山で採れた合計41トンの金は、幕府の財政をささえるのに大きな役割を果たしました。
明治時代に入ってから、欧米先進国の技術を導入した日本は、金の採掘量を大幅に増やしました。
当時の日本は、欧米の経済システムである金本位制を導入していました。
金本位制は、国にある金が多ければ多いほど経済を拡大させられるしくみのため、国内発展のために重宝されたのです。
金本位制を導入した日本と世界各国の経済は、貨幣のシステムを通じて一体化していきます。
つぎからは、日本をふくめた世界中の金と貨幣が、どのように関係していたのか歴史を紹介してきますね。
貴重な金属「金」と通貨の歴史
ここからは、貴重な金属である「金」と通貨がどのように関係したのか、歴史を紹介していきます。
紹介していく順番は、以下のとおりです。
- 金は価値が高いため世界中で貨幣としてつかわれてきた
- 19世紀に紙幣をつかった金本位制が登場して世界経済が活発化した
- 1929年の世界恐慌で金本位制が崩壊した
- 第二次世界大戦後に金・米ドルの交換体制が確立し世界経済が急成長した
それでは、順番に紹介していきますね。
金は価値が高いため世界中で貨幣としてつかわれてきた
ここでは、金が価値の高い金属だったために、世界中で貨幣として使われてきた事実を紹介していきます。
人類の歴史で登場した初期の通貨は、穀物や貝がら、また絹糸などの非金属でした。
やがて、それらの物質よりもより長期間保存ができる金属が、貨幣として利用されるようになりました。
人類が使用した世界最古の金貨は、紀元前7~6世紀にトルコ西部で鋳造されました。
他の金属よりもサビや腐食につよい金は、その後の人類の歴史において、市場で流通するもっとも価値のたかい通貨として利用されてきたのです。
江戸時代まで日本で流通していた大判・小判もまた、銀製や銅製の貨幣をこえて、一番価値の高い貨幣だったのです。
しかし、金でできた貨幣の時代は、やがて終わりをむかえます。
理由は、市場に流通している金の量だけでは、産業革命後に巨大化した世界経済をまかなえなくなったからです。
しかし、金は役割をかえて、世界経済の成長に貢献しつづけます。
次からは、資本主義が発展した19世紀以降の金と貨幣の歴史を紹介していきますね。
19世紀に紙幣をつかった金本位制が登場して世界経済が活発化した
18世紀後半にイギリスで産業革命がはじまってからの社会は、科学技術が急速に発展したため、それ以前の時代よりも経済・産業の規模が巨大化しました。
たとえば、糸車をつかって手動でつくれる糸は、ごくわずかな量にしかなりません。
一方で、工場で大量生産が可能になった糸は、手作業とは比較にならないほどに巨大な量になります。
産業革命で科学技術が発展してからは、おおくの産業分野で機械による大量生産が可能になったのです。
また、産業革命以降の社会では、農作物の大量生産も可能になったため、人口も爆発的に増加しました。
モノの大量生産が可能で、人口も大幅に増加した時代には、市場に流通するお金も増加します。
しかし、産業革命で高度に発展した社会の経済を回すためには、金などの金属製硬貨を流通させるだけでは量や流通スピードが間に合わなくなってしまいました。
1816年にはじまった金本位制は、市場に流通するモノ・サービスの価値を表現するための基準に金をつかうしくみでした。
金本位制が導入されている国の紙幣は、中央銀行が保有している金と交換できます。
金との交換券としてつかえることを担保にした紙幣をおおく発行できたため、金本位制を導入した国家では、通貨の流通スピードを加速化できたのです。
19世紀中の世界経済は、金本位制によってささえられてきました。
しかし20世紀初頭に勃発した第一次世界大戦によって、金本位制の存立は脅かされるようになります。
次からは、巨大戦争の影響で金本位制が崩壊してしまった歴史を紹介していきます。
1929年の世界恐慌で金本位制が崩壊した
ここからは、世界の経済成長をささえた金本位制が、第一次世界大戦と、その影響でおこった世界恐慌で崩壊してしまった歴史を紹介していきます。
19世紀に、通貨発行制度として世界で導入されていた金本位制は、第一次世界大戦の勃発によって問題を抱えます。
第一次世界大戦に参戦したヨーロッパ各国は、人類史上最大規模の戦費を捻出するために、金の保有量をこえる通貨の発行をしなければなりませんでした。
そのため参戦国は一時的に金本位制を停止し、国際的な為替相場を変動させて、通貨の管理をしました。
戦後になって経済が平時にもどると、ヨーロッパ各国はふたたび金本位制を導入しました。
しかし、1929年にアメリカでおこった世界恐慌の影響で、各国は金本位制の維持ができなくなります。
世界恐慌とは、いままで問題のなかった世界経済が急激に悪化して、破綻してしまうことです。
一般的にいわれる世界恐慌とは、1929年におきたものを指します。
1929年におこった世界恐慌の原因は、ヨーロッパで勃発した第一次世界大戦にまでさかのぼります。
第一次世界大戦中には、世界経済の中心地だったヨーロッパの工業製品が、戦場にならなかったアメリカでつくられました。
そしてアメリカ経済は、余剰な製品を輸出することで右肩上がりの好景気をむかえ、世界経済の中心になりました。
戦後も、疲弊したヨーロッパ各国は、以前のように工場での生産ができなくなったため、引きつづきアメリカが各国にむけて製品輸出をして、世界経済の中心でありつづけました。
1920年代をとおして、世界の投資家や米国民は、景気のよいアメリカ企業の株を買いつづけました。
しかし、大量に作りすぎた製品は、やがて売れ残るようになってしまいます。
また、ヨーロッパ各国も復興するにつれて、徐々に製品の生産力を取り戻していったため、アメリカ製品はますます売れなくなってしまいました。
商品を売れない企業の株は、下落するのが市場のしくみです。
アメリカ企業の株価が下落したとの報道を受け、米国民たちは保有していた株を一斉に売却し、銀行から預金を引きだしました。
急激な預金引き出しの結果、銀行は倒産し、銀行が融資していた企業も倒産し、ドミノ倒しのようにアメリカ経済は不況に落とし込まれました。
そして当時、好景気に湧くアメリカに依存していた世界経済もまた連鎖的に不況に落とし込まれたのです。
世界恐慌による景気後退で、各国は、紙幣との交換に応じられるほどの金をたくわえられなくなっていたのです。
1930年代になると、イギリスやアメリカなどの欧米各国が金本位制を廃止します。
日本もまた、1931年に金本位制から離脱しました。
そして、歴史上に名を残すほどの大不況の結果、資源の奪いあいで第二次世界大戦が勃発します。
第二次世界大戦後は、戦勝国のアメリカがリーダーシップとり、従来とは異なったあたらしい金本位制を導入して、世界経済を成長に導きました。
次からは、第二次世界大戦後に金と米ドルの交換体制が確立したことで、世界経済が成長した歴史を紹介していきます。
第二次世界大戦後に金・米ドルの交換体制が確立し世界経済が急成長した
第二次世界大戦後には、戦勝国かつ世界経済のリーダーとなったアメリカを中心に「ブレトン・ウッズ体制」とよばれる為替相場を安定させるしくみがつくられました。
ブレトン・ウッズ体制とは、金と米ドルの相場を固定した金本位制のことです。
以前の金本位制は、各国間の決済に金をつかっていました。
一方のブレトン・ウッズ体制では、各国間の決済に米ドルをつかいます。
金は、戦後も巨大化しつづける経済にあわせて、流通量を増やすことができなかったため、通貨発行量が拡大しやすい米ドルが価値の基準になったのです。
ブレトン・ウッズ体制下では、為替変動のリスクがないため、計画的に製品の生産ができた日本・欧州・アメリカは経済の急成長を実現させました。
米ドル本位制にしなかった理由は、当時の世界では、まだ世界各国で価値を共有するものは金という物質でなければならないという固定観念があったからでした。
やがて、ブレトン・ウッズ体制(金・米ドル本位制)で世界経済を運営する中で、金は増加しないのに米ドルだけが増えます。
そして、金と米ドルの交換比率は下落しつづけることが明らかになりました。
1965年ごろからベトナム戦争に軍事介入したアメリカは、軍事費の増加から、米ドルを国外へ流出させてしまいます。
ドルが過剰供給され、金との交換ができなくなることを恐れた国際市場では、ドルと金を交換する動きが活発化しました。
1970年には、金の保有量が1940年代の半分になってしまったアメリカで、ニクソン大統領が金・米ドルの交換を停止します。
このいわゆる”ニクソンショック”の影響で、ブレトン・ウッズ体制は崩壊して、世界各国は管理通貨制度に移行しました。
一国の通貨発行量を、通貨当局が調節することで、物価の安定や、経済成長、国際収支の安定などを図る制度のこと
管理通貨制度では、金本位制のように通貨の価値基準になる物体が存在しない
管理通貨制度によって通貨を発行するようになった現代では、通貨の発行にかかわることはなくなりました。
現代では、金はおもに投資市場で取引され、とくに国際的な危機のときに買われる資産として注目を集めています。
次からは、金の価格推移のデータをみせながら、金が国際的な危機のときに買い求められてきたという事実を紹介していきますね。
歴史をみると金は「国際的な危機のときに買い求められる」と分かる
歴史をみると金は、国際的な危機がおきたときに市場で買い求められてきました。
以下の金の価格推移表をご覧ください。
出所:東京商品取引所「貴金属取引の基礎知識」より
価格推移表をみると、たとえばイラン革命がおきた1979年に、金の価格が急上昇しています。
この現象は、イラン革命の混乱によって、産油国イランの原油生産量が激減したためにおきたものでした。
原油の激減によって、国際的な為替や株価下落をおそれた投資家が、資産をまもるために価値が暴落しない金を大量に買いつけたことで、金価格が急上昇したのです。
また、欧州債務危機がおきた2010年の価格上昇も、おなじ理由からおきたものでした。
EU加盟国ギリシャの粉飾決算によって、通貨ユーロの価格暴落がおきたため、投資家たちが価値の暴落しない金を大量に買いつけ、資産をまもろうとしたのです。
現代では、以下のような国際的不安要素があります。
- イギリスのEU離脱
- 米中貿易戦争
- アメリカ・イラン危機
現在は、保有している株式や国債、外国通貨などが暴落する可能性が高いため、金の価格が上昇しつづけています。
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以上紹介したように、金という資産は、国際的な危機のときに買い求められてきたのです。
まとめ
ここまで、以下の内容を紹介しました。
- 金はなぜ重宝されてきたのか?
- 世界の金の歴史
- 日本の金の歴史
- 貴重な金属「金」とお金の歴史
- 歴史をみると金は「国際的な危機のときに買い求められる」と分かる
この記事で紹介したように、金の価値が高い理由、値上がりする原因には歴史的な根拠があるのです。
金は、経済的な危機がおきても価値が暴落しない、信頼性のある資産です。
金に投資するメリットや方法は、当サイトのほかの記事でも紹介しているので、興味があればぜひ読んでみてください。