
こちらの記事では、いまや世界トップの金融市場として発展した香港の歴史について紹介していきます。
香港は100年以上にわたり、金融・貿易の要所として繁栄してきました。
香港が「なぜ世界トップの金融センターになれたのか?」という歴史を知ることで、投資に関する理解がより深まると思います。
そこで、この記事では、
「香港ってどんな場所なのか知りたい」
以上のような疑問を持っているあなたへ向けて、香港が世界トップの金融市場に発展するまでの歴史について紹介していきます。
具体的に紹介する内容は以下ものもです。
- 香港のイギリス統治時代
- 香港の中国返還以後
- 現在香港は世界トップの金融市場に
この記事は5分くらいでカンタンに読めて、香港が金融市場として発展するまでの歴史について十分に知ることができますので、ぜひご一読ください。
香港のイギリス統治時代
ここから、香港が世界的な金融市場として発展するきっかけになったイギリス統治時代の歴史を紹介していきますね。
香港は中国南部にある都市で、古い時代から外国商船が行き来する貿易の要所として栄えた広州の向かいに位置する島です。
香港が現在のような世界トップクラスの金融市場に発展した理由は、金融先進国であるイギリスが統治したことにありました。
イギリスが香港を統治するきっかけになったのは、1840年に、時の中国王朝「清」(以下、清国と呼ぶ)との間で起きたアヘン戦争です。
1840年当時、イギリスが貿易で黒字を出すために、所有していたアヘン(麻薬の一種)を清国に向けて大量輸出していました。
このアヘンによって出た巨額の貿易赤字と、国民の中毒を防ぐために、清国はアヘンの輸入禁止しましたが、イギリスはこれに対抗して艦隊を派遣し、勝利します。
当時のイギリスは世界で最初に産業革命を達成して、科学力・軍事力ともに世界最強国となっていました。
18世紀後半から19世紀前半にかけてイギリスで起こった産業システムの変革のこと
例:手で生産していた道具が工場で生産できるようになるなど
イギリスは、このアヘン戦争の勝利で、清国が領有していた香港の統治権を譲り受けました。
アヘン戦争以前は、中国南部の貿易中心地は対岸にある広州で、まだ香港自体は経済的に重要な拠点としては機能していませんでした。
しかしアヘン戦争以後、香港の状況は一変します。
イギリスが統治し始めてからの香港は、イギリス人が暮らしやすいように交通網が整備され、教育機関、病院、文化施設なども建設されるなど、都市としての機能が充実するようになりました。
また、イギリス系の貿易商社に次々に移ってきたり、職を求めて中国人やインド人が移り住むなど経済活動も活発化しました。
職のために大量の移民が来たことにより、香港は繊維産業などの製造業も発展するようになりました。
1865年には、貿易金融の提供を強みとした香港上海銀行が設立されました。
輸出入を円滑に行うために必要な資金の融資を行う金融業のこと
香港上海銀行は設立から間もなく、顧客へのサービス拡大のために支店を次々に開設して、事業規模を拡大し続け、19世紀末にはアジア最大の金融機関に成長します。
このように香港は、イギリスの開発によって、世界に大きな影響を持つ金融・貿易の拠点として発展するようになったのです。
清国が滅亡して、新しく中華民国が誕生してからも、香港は返還されることなく、引き続きイギリス人の手によって発展し続けます。
第二次世界大戦勃発時には、一時期は日本によって占領される時期を経験しますが、戦後にイギリスの統治に復帰してからは、香港は高度経済成長を実現するようになります。
戦前・戦後にかけて香港は、アジアにおける主要な貿易港・金融センターとして、中国と海外を経済的につなげる拠点として富を得てきました。
世界が資本主義諸国と社会主義諸国に二分されていた冷戦時代には、香港の対岸にある中国が社会主義国となりました。
社会主義経済システムを導入した中国は、資本主義陣営側との経済的な結びつきのほとんどを断絶します。
資本主義陣営の香港もまた、対中貿易額の激減に悩まされるようになりました。
香港は、中国との貿易額の損失を埋めるために、製造業の成長にも力を入れるようになります。
製造業の成長によって生み出した利益で、金融センターとしての地位の維持に尽力したのです。
しかし中国が1978年から改革開放政策を実施することで、香港内にあった工場を自国へ誘致し始めてからは、香港経済を発展させていた製造業の競争力が弱まるようになりました。
中国で1978年から実施された経済政策のこと
政治制度は社会主義体制のまま、資本主義の市場システムを導入して経済成長を実現させる仕組み
この高度経済成長を推進するのに役立った、中国向けの外国投資の多くは香港を通じて行われました。
また、逆に中国から外国に向けての投資も香港を通じて行われ続けました。
市場経済システムの導入後に高度経済成長を実現して、現在では世界第2位の経済大国となる中国との関係が、香港の世界の金融センターとしての地位を高めたのです。
また、1人あたりのGDPは1995年当時のレートで23,210ドルと、世界第8位の豊かさを誇っていました。(出典:富士通総研「FRI review」)
ある国で一定期間内に生み出された財産・サービスの売上のこと
時代に対応しながら世界有数の金融センターとしての地位を保ち続け、経済成長を実現していた香港は、1997年にイギリスから中国に返還されることになります。
中国に返還されてからの香港については、次から解説していきます。
香港の中国返還以後
アヘン戦争以降、150年以上にわたってイギリスが統治していた香港は、1997年に中国に返還されることになりました。
当時の中国の国家元首である鄧小平が、香港の返還を強く求めて、場合によっては軍事介入をする可能性も示唆したため、イギリス側は、この要求に応じたのでした。
しかし香港はイギリスに統治されて以来、民主主義や資本主義の体制で社会運営を行っていたので、返還後にいきなり社会主義体制を採用している中国本土のシステムを受け入れるわけにはいきません。
返還前のイギリスと中国との交渉で、「一国二制度」という体制を導入することで、摩擦なく香港が中国に返還されるように決められました。
中国国内で地域ごとに、一党独裁の社会主義制度と民主的な資本主義制度の2つのシステムを併存させている体制のこと
中国本土は一党独裁の社会主義制度で運営されているのに対して、香港は特別行政自治区と位置づけられ民主的な行政府によって資本主義体制で運営されている
返還された1997年から50年間は、香港が民主的な資本主義体制で自治することが認められている
一国二制度のルールによって、2019年の現在も香港では、民主的な資本主義体制で政治経済が運営されているのです。
また、中国本土と香港では、使用されている通貨も異なります。
中国本土では「人民元」が、そして香港では「香港ドル」が、それぞれ使用されています。
製造業で大きく発展を遂げて、世界第2位の経済大国となった中国をはじめ、経済成長著しいアジア各国に向けての資金調達の場として活用されている香港は、世界トップクラスの金融市場として注目され続けています。
次に、世界トップクラスの金融市場としての香港の姿ついて、紹介していきますね。
現在の香港は、ニューヨーク、ロンドンに並ぶ世界3大金融市場の一つとして、国際金融において非常に重要な地位にあります。
イギリスのシンクタンク「Z/Yenグループ」の統計調査では、2019年現在の香港金融市場の国際競争力は世界第3位となっています。(出典:Z/Yenグループ公式サイト)
香港が世界トップクラスの金融市場として発展した理由には、以下のようなものが挙げられます。
- 金融市場に対する行政の規制が少ない
- 税率が安い
- 香港ドルの価格変動が非常に安定している
- 多種多様な金融商品が取り扱われている
このように香港は、金融に関して非常に有利な環境になっているのです。
国内の金融市場の法的な規制を受けない市場のこと
国内に住んでいない非居住者が取引をしやすいように、金融・税金・為替管理などの規制が大幅に緩和されたり、もしくは完全に撤廃されている
香港市場での投資・取引をすることは、日本に住んでいる方にとっても大きなメリットがあるのです。
まとめ
ここまで、以下の内容をお伝えしました。
- 香港のイギリス統治時代
- 香港の中国返還以後
- 現在香港は世界トップの金融市場に
香港は150年以上前から、金融・貿易面で重要な場所として発展してきた歴史を持っています。
この世界トップの金融市場である香港で取引をすること、また、香港発の投資商品を購入・運用することは、日本に住んでいる方にとってもメリットがあります。
理由としては、
- 香港は日本からでも片道4時間で行ける近い距離にある
- 香港のオフショア市場で販売されている商品を、日本にいながら購入できる
以上のような点があるからです。